江戸・明治の時代を残す中山道太田宿・旧太田脇本陣林家住宅

岐阜県の南東部にある美濃加茂市で有名な観光場所と言えば中山道・太田宿になる。小学校や中学校時代に誰もが社会科で聞いたことがあるはずの「中山道」は、江戸時代に日本の東西を結ぶ重要5街道の1つであり、東京→埼玉→群馬→長野→岐阜→滋賀→京都を結び、5街道の中でも山の中を通る道として存在していたと考えられています。

太田宿は中山道の51番目の宿場町として存在し、この太田宿の中で今もなお250年前の姿を残すのが「旧太田脇本陣林家住宅」ということになります。

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歴史を刻む旧太田脇本陣林家住宅

旧太田脇本陣林家住宅は国指定重要文化財に指定された建物で、休館日を除いて誰でも自由に無料で見学することができます。ただし、旧太田脇本陣林家住宅のすべてを見ることができるわけではなく、一般開放されている部分は一部分だけになる上、畳の上に上がることができないなど、かなり限られたところしか見られないのが残念です。

旧太田脇本陣林家住宅の入口には案内をしてくれるおばあちゃんがみえて案内をしてくれます。

中山道太田宿は木曽川に沿って存在していますが、この建物が建てられた当時はよく木曽川が氾濫し、旧太田脇本陣林家住宅も1階部分が度々浸水したと言われており、その度に家財を屋根裏に運んでいたそうです。1階部分よりも空間が広い屋根裏は、見学できる部分からちょっとだけ見ることができますが、話を聞いていると本当は屋根裏に上がりたい!と思います。

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旧太田脇本陣林家住宅で一番有名な話は「板垣退助の暴漢事件」とも言われています。

板垣退助が岐阜で演説を行うために旧太田脇本陣林家住宅に宿泊をして、翌日に岐阜市内で演説を終えたところ暴漢に遭い手傷を負わされます。「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉が発せられたと言われている歴史的事件の裏側を少しだけ垣間見られます。

当時、板垣退助が入ったといわれている浴槽がありますが、見ることはできません。

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数時間の観光が楽しめる中山道・太田宿

旧太田脇本陣林家住宅のある中山道・太田宿は大きな街道ではなく、比較的小さな街道であり、観光できるところやお土産屋さんが点在している場所ではありません。

旧太田脇本陣林家住宅に加えて、2000年代に入ってから作られた太田宿の歴史を紹介している太田宿中山道会館、元旅館であった小松屋が主なスポットであり、観光散策をして、雰囲気の良いコクウ珈琲さんで一服をしても2時間程度のルートです。

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街道の雰囲気と一致する木造住宅や蔵は傷んでいるところが多く、建て替えられてしまうのも時間の問題かなと思われます。すでに建物は壊されて駐車場となっている場所も少なくありません。また、建て替えられた建物は街道の雰囲気を伝えない現代的なものがほとんどです。

中山道・太田宿を楽しみたい!という方は、できるだけ早めに行かれることをオススメします。

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